「お伊勢・稲荷(いなり)に犬の糞」は,江戸の市中に多かったものの代表である。
江戸時代も中期になると,生活文化の向上に伴い,旅行がはやった。その多くは寺社参詣の旅であった。というのは,旅行するにはパスポート(旅行手形)が必要であり,寺社参詣を名目にすると得やすかったからである。江戸市中には,各寺社へ参詣客を誘うための講社が数多くあった。いちばん多かったのが伊勢講で,次いで富士講や大山講など。札所巡りも盛んであった。信仰は二の次の物見遊山の旅ではあるが,寺社に参詣すればお札を貰ってきた。物見遊山のついでに家内安全や商売繁昌を祈願できればいうことはない。お札を神棚に飾ったり玄関に貼ったりした。そうしたお札のうち,どこの家にもあったのが「お伊勢さん」のお札であった。これには,わけがある。
一生に一度は伊勢神宮に詣でる,という民間信仰が定着したのに加えて,抜け参りやお蔭参りもはやったからだ。抜け参りは,親や主人の許可を得ず,また通行手形もなしに伊勢参りをすることで,お蔭参りは,60年に一度行なわれた大集団による抜け参りである。着の身着のまま,なぜか柄杓(ひしゃく)1本を腰に差して,「ええじゃないか,ええじゃないか」と歌い踊って伊勢神宮を目指した。「お伊勢さん」のお札が,江戸のいたるところにあった理由である。
江戸市中で最も多かった神祠は,お稲荷さんすなわち稲荷神社であった。江戸にかぎらず,稲荷神社は諸国にも多かった。現在でも,全国で3万社を超え,個人の屋敷地内の稲荷社も加えると,5,6万社はあるという。諸神社のうちで圧倒的な一位である。
稲荷信仰の原点は京都の伏見稲荷だが,江戸ではやったのは,江戸中期に江戸町奉行の大岡越前守が,赤坂に豊川稲荷を勧請して以来のことである。お狐さんを祠るお稲荷さんは,またたく間に武家にも町人にも信仰を広げ,数多くの神社ができた。ちなみに稲荷神は御饌津神(みけつかみ)とも呼ばれる。農耕神であり食物の神様だ。それが,「みけつ」の者から三狐神と書かれるようになり,いつしか狐が神様になってしまった。狐の大好物として油揚げを供える風習は,おそらく江戸の豆腐屋が考え出して宣伝したことによると思われるが,なぜ「正一位大明神」なのかは不明である。
最後は犬の糞。これはいうまでもなく,江戸に野良犬が多かったことによる。将軍綱吉による「生類憐みの令」のとき,幕府がつくった犬の収容施設に入れられた野犬の数は10万頭という。犬小屋の建築費だけではなく,餌代など莫大な費用がかかったが,幕府はそれを江戸の町民に犬扶持(いぬぶち)として負担させた。余計な施設をつくって増税するやり方は,今も昔も変わりない。
2022.6.17