テストの日にはみんなが朝早く登校し、教室で一緒に勉強するというのは今でもよくあることなのだろうか? 高3のときの僕たちのクラスでは恒例の行事となっており、特に現代文のテストは生徒同士による「直前相談会」の格好の対象だった。
現代文のヤスダ先生は変わり者で有名だった。 華奢な身体に花柄のシャツとチノパン。小さな目には金縁の、やや紫がかった色の薄いサングラス。 放課後はなぜか延々、黙々と階段の清掃。
授業は大学の講義のよう。詩、ことば、記号、資本主義、貨幣…といったものが順次テーマとして取り上げられ、先生は、楽しそうにというよりはほとんど「恍 惚」とでも形容するのが相応しいような様子で話すのだった。恐ろしく早口だけれども不思議と僕たちは焦りも不満も感じず、先生の口から滝のように溢れ出る ことばと戯れることこそが学習活動そのものであった、と言っても過言ではない。
ヤスダ先生お手製のテストは、授業で扱ったテーマに関する論述問題と、通常のテスト問題で構成される。論述問題は70点、それ以外は30点。論述問題の設問文は事前告知される。このパターンが1年間変わらないことを、僕たちは1学期中間テストの前に知らされた。
そういうわけで僕は、劣等生だったこともあり、とりわけ現代文のテストについては「直前相談会」の常連だったのだが、2学期末のテストの朝に開かれた会か らは、すぐに退席してしまった。 作ってきた答案が友人たちのとあまりにも大きく異なっていたので、内容は度外視して内部矛盾のない長めの文章を書き切るモードに切り換えたのだ。そうすれ ば最低でも努力点ぐらいはもらえるだろう、という判断である。こうなるともう、自分のと異なった意見などは雑音でしかない。共同での推敲作業に勤しむ友人 たちから離れ、教室の隅の机の上に両肘をつき、耳を押さえ、自分の作ってきた答案を覚えることに集中した。
このときの論述問題の設問文は、およそ次のようなものだった。
「現代資本主義社会において〈差異〉自体が価値を生成するとはどういうことか。身近なテレビコマーシャルを2つ例に挙げて説明せよ」
僕の答案は、「写ルンです」と「スナップキッズ」のテレビコマーシャルを例にとり、両者における商品機能の説明の乏しさ(とりわけ前者には全くなかった) を指摘することから始めて設問文の指示に答えていくものだった。当時の「写ルンです」のテレビコマーシャルにはデーモン木暮閣下がご出演されており、その シュールな出来映えが話題を呼んでいた。僕の文章では、およそ定期テストの答案にはふさわしくない「デーモン」「聖飢魔II」という文字が踊っていた。
結果は70点。論述問題を除いて見事なまでに全問不正解。だがこのことは同時に、論述問題で満点を取ったことを示していた。点数の上に、強い筆圧で殴り書きされたようなコメントがついていた。
「きみはわかっている!!」
さらに、点数の右側には、大きな、赤い、線の太い"はなまる"があった。100点よりもうれしい結果があるのだということを、このとき知った。縦方向に若干つぶれたあの力強い"はなまる"ほど激しく僕を賞賛してくれたものは、ほかにない。
けれども、先日、この現代文の答案が見あたらないことに気がついた。宝物だから、と実家を出るときに荷物に入れてしまったのがよくなかった。引越しは実家 を出たときを除いても3回しており、最後の引越しは昨年の暮れ。そのときには見かけなかった。その前の引越しの際にも見かけなかったような気がする。も う、どの部屋にいるときになくしたのかすら見当がつかない──。
あの期末テストから12年が過ぎた。
上京して10年以上が経った。
僕は30歳になった。
「写ルンです」は、ほぼデジカメに取って代わられた。
これまでに、何人かの友人たちの顔が、僕の意識から消えていった。
あの答案も消えていくのだろうか?
時の流れそのものの悲しさは感じるが、涙は流れない。
それどころか無駄な力ばかりが溢れ、尽きることがない。
答案はまだ見つからない。
ヤスダ先生とデーモン閣下の消息はわからない。
"はなまる"は、あの期末テストを最後にもらっていない。
(A.I.)
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